まるまる、赤の他人だからこそ相談できることが世の中には居残る

不能元で書いてみた調整ごとに答えがかえってきたことに驚くによって短く、ぼくは胸を打たれたようなテンションになりました。若者もおわりを迎える間一髪、自分の暮しなのにどうしてはたらくべきかも分け前からなくなっていたのです。思い切り明快ですが、例年ヒトに相談するというスタイルが少なくなり引っ込み思案に陥って言うぼくにとってはやはり通じる提唱だったような気がします。レジに目を切り回すという、几帳面そうな店員という一瞬目が合い共に礼を交わしました。表現は交わさずとも、その店員こそが店主であることは雰囲気でなんだか伝わってきました。皮肉なことに、ぼくはおろか、周りの成人陣さえ「わからない」と頭を抱えている不都合に的確な応えをくれたのは赤の第三者でした。それまでぼくは誰にでも当たるようなそれとなくした面倒など、ヒトには調整できないと思っていました。但し、徹頭徹尾の第三者だからこそ相談できることもある。もうレジを見ると、ぼくよりもひと回り年上の二若者真ん中ほどの店員が穏やかな顔付きでレジ打ちを通していました。「ありがとう」オートマチック玄関が開いた一目、背中越しに響いた聞き覚えのある高い色のお辞儀は、客席って店員という絆ではあれ、店主にとってのぼくは単なる人々(=第三者)ではないという印だったのでしょうか。